毘沙門天は戦前は遊郭の芸妓、舞子がお参りして自分の願いを白壁に書いて祈り、近頃の願いは、商売繁盛を願い、寅年の人の守り本尊でもある。

両足院の毘沙門さんは毎月8日が縁日です。
この毘沙門天は鞍馬寺毘沙門天の胎内仏でしたが、戦国時代に織田信長の焼き打ちを恐れて上京の比喜多家(室町将軍の茶家・筑前黒田家御用達)に疎開していたといわれます。
黒田長政が関ヶ原の合戦にこの像を内兜におさめて奮戦し勝利をおさめたので、代々黒田家で信仰されていました。
明治十年ごろこの寺に寄進され、大正11年に今の毘沙門天堂にうつされました。
毘沙門さんは秘伝で脇仏に魔王・不動明王をお祀りしています。
毘沙門天堂の狛犬は寅・香炉にも寅が浮き彫りされています。この毘沙門天は戦前は遊郭の芸妓、舞子がお参りして自分の願いを白壁にかいたものです。
そのころの願いは「いい旦那さんが見つかるように」と祈り、近頃の願いは、商売繁盛を願い、寅年の人の守り本尊でもあります。
寺伝によりますとこの寺は観応元年(1350)竜山徳見によって創建され、はじめ知足院といわれていましたが、のち天文年間の火災後、護国院を合併して両足院と名付けられました。
両足院の庭は方丈の南に展開する桃山時代と推定される枯山水と江戸時代と推定される池泉廻遊式の庭にわかれます。
本堂のうしろの境内墓地にはわが国ではじめて饅頭を作ったといわれる中国人林浄因・三輪執斎・白木屋の祖大村可全の墓・寛政の力士鬼面山谷五郎の墓があります。
また林浄因の子孫、林宗二は室町時代の明応年間(1492~1501)節用集をはじめ「源氏物語」などをあらわし、いまもこの寺には五山版をはじめ、貴重な古写本を収像しています。
伝如拙筆の三教図(重文)をはじめ、竹林七賢図六曲屏風が保管されています。書院の襖絵は長谷川等伯の筆とつたえる「松に童子図」があります。
| 名称 | 両足院(りょうそくいん)毘沙門さん |
| 本尊・祭神 | 釈迦如来 |
| ご利益 | 商売繁盛 |
| 住所 | 京都市東山区小松町591ー4丁目 |
| 電話 | 075-561-3216 |
| 拝観時間 | 10:00〜16:00 |
| 料金 | 無料 |
| アクセス | 市バス「四条京阪前」下車南東へ 徒歩10分 |