厄除け 伏見区・弁財天 長建寺(べんざいてん ちょうけんじ) 中書島の弁天さんは京都で唯一、弁財天を本尊とするお寺で開運・厄除けを祈願します。 祇園で芸妓をしていた18才の女性、中書島にきて警察官をしていた男と知り合い、互いに愛しあい、結婚できるよう弁天さんにお願いしました。 22才のとき結婚。借金して家を買い、何度かおそってきた困難のとき、いつも弁天さんにお願いして助けていただ...
火難・災難除け 下京区・高源寺(こうげんじ) 高源寺にお参りする人は火難・盗難に霊験あらたかと伝え聞いてお参りになります。 毎月28日をもってお祀りしていますがなかでも1月・5月・9月の28日には大祭が行われ、この日道了大薩唾?の尊像がご開帳されます。 寛政のころ大阪の人で今北藤右衛門という人がありました。その娘は京の高源寺に預けてありました。 この人が道了権現さ...
厄除け 下京区・成道院(せいどういん) 成道院の呑竜さんにお参りする人は、安産、子育て、厄除けを祈ります。 本尊阿弥陀如来・脇壇に呑竜上人の木像が安置しています。 呑竜上人は、新田義重の御廟再興の時、慶長18年(1613)上野国太田町大光院の住職をしていました。昔より、呑竜坊主といって子供も坊主頭にして7才までお弟子にしますからといってお祈りしますと、子供が...
勝負運 大石神社(おおいしじんじゃ) 山科区・大石神社にお参りする方は「大願成就」を心に秘めて参拝されます。 大石良雄は元禄14年(1701)4月赤穂城明け渡しの後、6月妹の夫である進藤源四郎の縁故で当地に隠棲、8月主君浅野長矩の碑を瑞光院に建て、伏見撞木町・島原・祇園でしばしば遊びました。 翌15年2月15日に山科、7月京都円山重阿弥の別荘に同志を集め吉...
商売繁盛 山科 音羽・若宮八幡宮 (わかみやはちまんぐう) 山科音羽にある若宮八幡宮にお参りする方は子授けを祈願します。 ご祭神の神功皇后は仲哀天皇の皇后です。朝鮮出兵の会議中に天皇が急死されたため、皇后は皇子を身ごもられているにもかかわらず帰国するまで生まないことを誓って喪にふし、男装して出征され、筑紫へもどってようやくお産をされました。 神功皇后は安産の神として信仰されてき...
厄除け 山科・岩屋神社(いわやじんじゃ) 岩屋神社にお参りする人は厄除け・合格祈願、選挙必勝、社運隆昌、家内安全を祈願します。 この日は神社から開運の神矢、絵馬、お札、お守が授けられてます。 本社から数百歩の後山に2つの大きな岩があり、1つを陰岩、もう1つを陽岩といいます。 宇多天皇の時、陽岩に天忍穗耳命、陰岩に拷幡干々姫命、岩前の小社に饒連日命を祀っています...
厄除け 山科区・花山稲荷神社(かざんいなりじんじゃ) 大石内蔵助必勝祈願の社 花山稲荷には技芸の上達と商売繁盛を祈ってお参りになります。 昔は三条小鍛冶宗近(さんじょうこかじむねちか)の伝説にちなんで、刀鍛冶の方のお参りが有り手先の細工物、織物、大工さんなどのお参りがありました。 商売繁昌と厄除けと宮参りをはじめいろいろのご祈祷を受けつけています。 大昔、ここから宗像神社にご分霊になったといわれ...
家畜病気平癒 法厳寺(ほうごんじ)牛尾観音 法厳寺の本尊は十一面観音で牛尾観音の名で親しまれ、丑年の守り本尊といわれ家畜の病気平癒を祈願されています。 市バスの山科小山バス停留所から南へゆるい坂を登って行くと牛尾観音への道に至ります。 法厳寺の本尊は十一面観音で牛尾観音の名で親しまれ、丑年の守り本尊といわれています。 このあたりは昔から牛馬を使う農家が多く、馬を...
商売繁盛 東山区祇園・辰巳大明神(たつみだいみょうじん) 祇園・辰巳大明神にお参りする人は芸能上達・商売繁盛を願います。 北白川から岡崎を通ってきた白川は古門前で西に流れ縄手まで一丁半ばかり東に向きを変え新橋をくぐって鴨川にそそぎます。 新橋通りに東面して向かって左側が新橋右側は巽橋です。 この巽橋は木造で、文政12年(1829)巽橋は民費でたてられたとしるしています。芝居...
商売繁盛 建仁寺 塔頭 両足院(りょうそくいん) 毘沙門天は戦前は遊郭の芸妓、舞子がお参りして自分の願いを白壁に書いて祈り、近頃の願いは、商売繁盛を願い、寅年の人の守り本尊でもある。 両足院の毘沙門さんは毎月8日が縁日です。 この毘沙門天は鞍馬寺毘沙門天の胎内仏でしたが、戦国時代に織田信長の焼き打ちを恐れて上京の比喜多家(室町将軍の茶家・筑前黒田家御用達)に疎開してい...